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Amazon.co.jp 20世紀初めのハプスブルク帝国の首都ウィーンは、平和と繁栄によって、フロイト、マーラー、クリムト、ウイトゲンシュタインといった文化人を輩出したことから、ジョンストン、ショースケ、ジェラヴィッチ、ジャニクなどアメリカのオーストリア史研究家によって文化史が書かれ、邦訳もされている。
しかし本書は、繁栄の分け前にあずからなかった人々の歴史である。
将来ドイツの独裁者となるアドルフ・ヒトラーは、郷里のリンツから出てきて美術学校の入学試験に失敗し、1906年から1913年まで7年間ウィーンに住んだ。
彼の目に映ったウィーンは輝かしい繁栄を誇る町ではなく、リベラリズムが民心を失って、ドイツ人とチェコ人の教育問題、反ユダヤ主義、インフレ、移民労働者のホームレス問題など、民族問題と社会問題に満ちた紛争の町だった。
この間ヒトラーは友人を替え、住居を転々としながら、民族主義思想に染まっていく。
彼が感化された民族主義者は、ゲルマン人種の優越性を唱えたグイド・リスト、異人種に対する防衛戦争を訴えたランツ・リーベンフェルス、模範とした政治家は、暴力的な反ユダヤ主義のため大衆の支持を失ったゲオルグ・シェーネラー、現実主義的な反ユダヤ主義によってウィーン市長に選出されたカール・ルーエガーらであったことが、整理されて解説されている。
著者はヒトラーの著書『わが闘争』の内容を、知人、同時代人たちの証言、政治的、文化的思潮を引用しつつ実証的に検証し、このころの彼の思考を明確にするとともに、ハプスブルク帝国末期の世相を浮き彫りにしてゆく。
しかし著者が最も強調したいのは、当時のヒトラーがまだ人種差別主義者ではなかったことだ。
著者は彼のユダヤ人、チェコ人の知人との交際を丹念に調べ、この失意の画学生が人種的に公平だった事実を証明している。
ヒトラーが人種差別主義者に変貌したのは第1次世界大戦以後、ドイツで煽動政治家として成功してからである。
「(ヒトラーという)独裁者の修業時代」が当書の副題だ。
リベラリズムが崩壊してナチズムの兆候が見える20世紀初頭のオーストリア、その思潮動向を知るために絶好の時代史である。
(川村清夫) --このテキストは、絶版本またはこのタイトルには設定されていない版型に関連付けられています。
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